経済の歴史から捉える!日本経済の問題点についてわかりやすく解説する。
経済の歴史から捉える!日本経済の問題点についてわかりやすく解説する。

株式投資やFXを行ううえで、日本経済の歴史を知っておくことは重要になります。

 

長い日本の歴史の中で、為替や株価にはそれぞれ良い時・悪い時がありました。

歴史の大きな流れを把握しておくことで、今後の見通しに関してもヒントを得ることができるかもしれません。

 

現在の日本経済は、失われた20年を抜けて、回復基調にあるといわれています。

しかし、世界の状況を見れば、米中貿易問題、イギリスのEU離脱問題と大きな問題を抱えています。

 

日本は歴史の中でどのように成長し、海外の影響をどのように受けていたのかを解説します。

そして、今後の日本経済がどうなっていくのか考えてみましょう。

 

戦前と戦後復興期の日本経済

明治維新後~第一次世界大戦

明治維新後の日本はヨーロッパに倣って、工業化・近代化を進行します。

工業化・近代化に伴い、市場経済という概念が登場してきました。

 

そして島国である日本は、推し進めた工業化による製品の輸出により外貨を獲得していき、経済発展を遂げていきます。

特に、第一次世界大戦では、ヨーロッパでの軍需が増えて輸出が増えることで、日本経済は大いに潤いました。

 

しかし、第一次世界大戦が終わると軍需による輸出が減りました。

それに伴い、日本経済も停滞します。

 

そんな中で、アメリカを起点とする「世界恐慌」が起こります。

 

世界恐慌後~終戦

世界全体の経済状況が悪化すると、日本の輸出は伸び悩んで製品は売れなくなってしまいました。

日本の経済は輸出で利益を出すことができなくなり、景気は悪化していきます。

 

そんな中、日本は、世界恐慌からいち早く脱出したソビエト連邦に感化され、自由主義経済から国家統制経済に移行しました。

これは、官僚が軍部と連携して、日中戦争を起こし、経済を統制していきます。

 

この際に、戦争のための資金が税金だけでは賄えず、国債が乱発されます。

しかし、最終的に太平洋戦争によって、日本は戦争に敗れました。

 

戦後復興期の日本経済

GHQによる政策

戦後復興期とは、太平洋戦争後に焼け野原となり物資不足であった日本が、GHQによる経済政策や戦争特需によって経済が復興するまでの期間を指します。

戦後日本はすべてのものが不足する中、インフレーションに見舞われました。

 

また、戦前の国債が償還されることで、インフレーションを超えるハイパーインフレーションの状態となってしまいました。

それによって預金封鎖や新円の切り替えが行われます。

 

また、太平洋戦争に負けた日本は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下に置かれます。

GHQは日本経済の民主化政策を行い、また傾斜生産方式を採用してインフレーションを抑えようとします。

 

戦後の日本は物資が足りず、経済は悪化しました。

しかし賠償請求が軽かったことや前述したGHQの経済政策によって、経済は回復していきます。

 

そして、1950年から日本経済にとっては明るい兆しの見える朝鮮戦争が始まります。

 

朝鮮戦争による軍需

朝鮮戦争が始まると、アメリカは日本に軍需物資の生産を命じました。

日本はそれに従って、軍需物資の生産を増やします。

 

生産された物資はアメリカが買い取ってくれるので、企業が儲かります。

このようなサイクルで、日本の経済はめざましい回復を見せるようになりました。

 

この一連の特需は、「朝鮮特需」と呼ばれます。

そして、日本経済は「もはや戦後ではない」と呼ばれるほどに回復して、高度経済成長期を迎えます。

 

高度経済成長期の日本経済

高度経済成長期とは

高度経済成長期は1954年あたりから1973年あたりまでの約20年間のことです。

経済成長率は実質年平均10%前後と高い水準で、成長を続けました。

 

高度経済成長期の日本を支えたのが以下の要素です。

・重化学工業分野での技術革新

・国内市場の拡大

・固定相場制での円安による輸出拡大

・海外資源を安価に輸入

 

ここでは、その歴史年表から順に高度経済成長期について解説します。

 

高度経済成長期の始まり

1955年から1957年にかけて、朝鮮特需による「神武景気」と呼ばれる好景気を迎えます。

しかしその後1年間、「なべ底景気」と呼ばれるデフレーションが起こります。

 

これは朝鮮特需などによって在庫が急増したという短期的な要因でした。

そのため、公定歩合の引き下げによって、すぐに景気は回復しました。

 

1958年から1961年には「岩戸景気」と呼ばれる好景気を迎えました。

設備投資が活発になり、技術力が向上します。

 

また、池田勇人内閣は10年で1人あたり国民所得を倍にするという国民所得倍増計画を策定します。

結果は予想以上となり、7年で目標を達成しました。

 

国民総生産世界第2位に

そして、国民総生産は世界第2位となり、日本は経済大国へと成長を遂げます。

その後も、証券不況など一時的な不況はありました。

 

しかしながら、東京オリンピックによる「オリンピック景気」、その後の「いざなぎ景気」によって日本の経済は拡大していきます。

しかし、オイルショックを起点に景気の拡大は抑えられ、高度経済成長は終焉。

 

日本経済は安定成長期に入っていきます。

 

安定成長期の日本経済

安定成長期とは

安定成長期は1973年から1987年までのバブル期までの14年間のことを指します。

文献によってはバブル期も安定成長期に含むこともありますので、ご注意ください。

 

安定成長期は年平均成長率が4%でした。

高度経済成長期から見れば落ち着いた成長率と感じられるでしょう。

 

では、安定成長期の出来事を解説します。

 

オイルショック

高度経済成長により経済発展してきた日本ですが、1973年に第一次石油危機が起きました。

第四次中東戦争を機に産油国が原油の減産と大幅値上げを行います。

 

日本は石油を輸入に頼っていたので、大ダメージを受けます。

失業・石油を使った商品のインフレーション・貿易収支が悪化しました。

 

石油危機にてインフレーションとなった日本は経済成長率がマイナスとなりました。

しかし、日本は省エネルギーや経営の合理化を進めて、先進国のなかでも早く立ち直ります。

 

そして、産業構造が変化し、自動車や電機製品などのハイテク産業が伸びます。

また、第三次産業が発達したのもこの時期です。

 

貿易摩擦

そして、アメリカのレーガノミクスと呼ばれる高金利政策によってドル高円安が進行し、ハイテク産業の輸出が増加しました。

しかし、貿易赤字が拡大したアメリカが不満を唱え、貿易摩擦が生じます。

 

結果、プラザ合意で貿易不均衡を解消するために、G5参加国は通貨をドルに対して一律10~12%を切り下げるために、協調介入を決定するのです。

ドル円は円高ドル安となり、輸出が減少していきました。

 

プラザ合意はこの後のバブル景気と失われた20年と呼ばれる経済低迷期の起点ともいわれ、日本経済の転換とも見方もあります。

 

バブル経済時の日本経済

バブル経済とは

バブル経済は1987年から1991年までの4年間を指します。

資産価値の上昇と株価の大幅な上昇によって、この好景気は社会現象になります。

 

バブル経済の原因は政府、日本銀行の金融財政政策です。

プラザ合意を受けて円高が進行し続け、1年で1ドル240円から150円となります。

 

それによって輸出産業はダメージを受け、倒産する会社も出てきました。

貿易収支も落ち込み、貿易赤字となります。

 

そこで、日本政府は内需を増やすために、公共投資を拡大しました。

さらに、日銀は公定歩合を引き下げ、長期的に金融緩和を行います。

 

公定歩合の引き下げに伴い、市場金利も下がり、新事業への投資が活発になります。

また、土地の値段も高騰したり、資金を得た企業が海外への投資を拡大しました。

 

このことによって、かつて誰も経験したことのないような好景気が4年間ほど続くことになったのです。

 

バブル経済の終わり

しかし、この資産価値の上昇は実体経済の成長から乖離したため、長続きしませんでした。

会社は工場を、家庭は耐久消費財を十分に持っているため、需要が減ります。

 

そしてバブルは崩壊し、日本は長期的な経済低迷期を迎えます。

 

バブル崩壊後の日本経済

バブル経済後の日本

バブル経済が崩壊した後、日本は失われた20年と呼ばれる長期低迷期を迎えます。

バブル景気で積み重なった不良債権問題やアジア通貨危機によってデフレーションが進行し、金融危機が発生します。

 

それに伴い、名門金融機関の破綻が相次ぎ、大手金融機関の合併、統合が図られます。

これによって名目GDP成長率が-1.5%となりました。

 

そのような状況で、BRICsと呼ばれる新興国が台頭し、外需によって景気が緩やかに回復します。

また、IT革命によってインターネット関連の株が上昇し、ITバブルが起きました。

 

しかし、アメリカの同時多発テロや、日本での光通信の携帯電話売買による不正で株価が暴落します。

これにより、ITバブルは崩壊しました。

 

その後、日本では小泉純一郎内閣による「聖域なき構造改革」によって不良債権問題が解決に進みます。

さらに円安が進み、輸出企業が好調な経済を示し成長率も2%まで回復します。

 

リーマンショックから現在へ

しかし、2008年のリーマンショックによって再び世界は不況となりました。

それによって外需が減り、輸出企業は不振に陥ります。

 

追い打ちをかけるように、円の信用が高まって円高となり、日本の貿易はさらに悪化するのです。

そんな状況下で、2013年に安倍晋三内閣総理大臣がアベノミクスと呼ばれる政策を進めて日本経済の回復を目指したのです。

 

結果、アベノミクスの狙いどおりに日本経済は回復基調を示しています。

 

日本経済の今後の見通し

オリンピック特需

現在は日本の経済は好調を示しており、アベノミクスも一定の評価を得ています。

さらに、東京オリンピック、大阪万博と高度経済成長期と同じイベントがあることから、日本経済の復調が大いに期待されていると言えるでしょう。

 

低迷への可能性

しかし東京オリンピック終了後、オリンピック特需はなくなり、景気が後退する可能性があります。

また、米中の貿易摩擦、イギリスのEU離脱問題、EUの財政危機と海外の景気動向も見逃せません。

 

日本は外需をもとに経済成長しました。

そのため世界の経済が低迷してきたら、日本の景気は後退していく傾向にあると言えます。

 

まとめ

日本経済の歴史は外需によって発展、安定してきました。

そのため世界的な不況が起これば、それと同時に日本経済も後退します。

 

これは日本が輸出に頼っていることに起因します。

日本の基幹産業は輸出向けの工業製品も多く、今後も日本経済は、海外の景気動向に左右されやすいでしょう。

 

つまり、今後の日本の経済を知るうえで、海外の動向は注目すべきです。

今、世界では米中の貿易摩擦、財政危機やイギリスの離脱問題によるEUの不安定感があります。

 

今後の日本経済を見通すうえで、世界の政治的、経済的な動向に注目しましょう。

 

 

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