私たちの暮らしと密接に関わっている税金、実は太古の昔から存在していたのをご存知でしょうか?
学校の社会の授業ではサラッとしか触れられないのですが、税金のシステムは資本主義社会が成立する以前から存在していました。
そして、紆余曲折を経て、現代に至ります。今回は、この税金の歴史について、解き明かしていきます。
税金はいつから成立したの?
日本において、税金の発祥は飛鳥時代からと言われています。
飛鳥時代に、日本は唐の律令制度を取り入れて、政治制度の整備を行います。その際に、税制についても整備を行いました。
学校の社会でお馴染みの「租・調・庸」がこれにあたります。租・調・庸の内容はそれぞれ以下の通りです。
租:農民に課される税。米の収穫のうち、3%を国に納める。
調:布などの地域の特産物を納める税。
庸:都での労働、もしくは布を納める税。
調と庸に関しては、男性にのみ課税されました。
ちなみに、この時代は「公地公民」と呼ばれるルールに乗っ取って、土地の管理が行われていました。
これは、「すべての土地は天皇が所有し、治める」という考えです。
従って、農民が土地を所有するのではなく、あくまでも「天皇から土地を借りている」という状況に過ぎませんでした。
ただ、時代が進むにつれて公地公民が限界を迎えることになります。
人口増加により、農民に貸す土地が不足してきます。
新たな土地を開拓していく必要が生じたため、政府は新たに開墾した土地の永久保有を農民たちに認めるようになったのです。これをルール化したものが墾田永年私財法と呼ばれる法律です。
墾田永年私財法の結果、土地を保有する農民が増加する一方、借金などにより土地を手放してしまう農民も増えてきました。
売られた土地を買い取り、広大な領地を支配する領主が現れるようになります。
この領主を「荘園領主」と呼びます。農民は、荘園領主に年貢と呼ばれる米の税を納めるようになります。
鎌倉時代、室町時代になっても、年貢を納めるという形式に変化はありませんでした。
農民の負担が厳しくなる
安土桃山時代に、豊臣秀吉が「太閤検地」と呼ばれる土地調査を実施します。
これにより、日本全国の各土地でどれくらいの米が収穫できるのか、ブラッシュアップされました。
農民は、収穫高の3分の2を年貢として納めなければならず、農民の負担は厳しいものとなりました。
江戸時代になっても、この厳しい年貢の取り立ては続けられ、しばしば農民の一揆を発生させる原因になります。
江戸時代は特に、歴代の将軍や老中たちが血眼になって米を徴収するケースが目立ちました。
武士たちの給料は米で支払われましたので、財源確保に必死になっていたわけです。
しかし、年貢の場合、飢饉や天災が発生すると収穫量が激減します。
毎年、安定して年貢を徴収できるわけではないので、いくら政策を実施しても結局は最後は天に託すことになってしまうのです。
米から現金へ!
明治時代になると、今までの税制を改めて、年貢の徴収ではなく「現金」での徴収に切り替えます。
これを地租改正と呼びます。保有する土地の地価に応じて、「税金」として民衆に負担させました。
はじめは、今までの慣習からかけ離れているということで、地租改正に反対する一揆が続発しました。
ただ、年数が経つにつれて徐々に沈静化し、現金で税を納めることが一般化していきました。
現金での納税に変えた理由は、天候などに左右されずに安定して財源を確保するためです。
江戸幕府が倒れた間接的な要因は、財源を安定して確保できず、毎年のように緊縮に追われていたことです。
結果として、経済的に潤った「藩」によって幕府は潰されることになったので、明治政府は同じ事態に陥らないよう、税制度から改革を図ったのです。
加えて、明治政府は欧米の制度を取り入れて、日本をいち早く近代国家にしようとしていた為、
欧米で主流となっている「現金での納税」を取り入れたとも言われています。
1887年には、日本ではじめて「所得税」の制度が定められます。
給料から税金を支払うという形式は、今までの日本からしてみれば非常に画期的な制度でした
。会社や工場で働く人々も増えていき、給料も現金で支給されるようになってきます。徐々に、現代の税制度に近づいていきました。
日本国憲法で「納税は義務」となる
太平洋戦争終結後、GHQの主導のもとで制定された日本国憲法では、「納税は国民の義務」とされました。
どのような人でも、税金を必ず納めなくてはならないと定めたのです。
ここから、政府は様々な形で国民から税金を徴収するようになります。
具体例としては、保有資産に応じて支払う固定資産税、不動産を取得した際に支払う不動産所得税などが挙げられます。
戦後日本の税制度の転機となったのは、1989年の大規模な税制度改革です。
この改革によって、日本で初めて消費税が導入されることになりました。
最初の消費税率は3%とされ、累進課税が適用されない税制度としてスタートを切りました。
ただ、当時の消費税に対する風当たりはかなり厳しく、「なぜ消費するのに税を支払うのか?」といった意見が絶えませんでした。
1997年には消費税が5%、2014年には8%に上がり、2019年には10%に消費税が上がる予定となっています。
現代の税制の問題点
増税の目的は、「財源確保のため」と政府は発表していますが、消費税増税の度に同じことを述べており、果たして増税がどれくらい財政健全化に役立っているのか、疑問に残る点があります。
一般的な家計でも同じことが言えますが、収入を増やしても、支出が増えてしまっては、お金は手元に残りません。
政府は、支出の内訳をもっと精査しなくてはなりません。
加えて、消費税が増税される一方、法人税は減税されています。
個人からは税金を多く取り、企業からは多く取らないという税制に変化してきています。
法人税減税により、サラリーマンの給料が上がれば問題ないのですが、企業が法人税の減税分を抱えてしまうと、結果的に個人が多く税金を負担することになります。
所得税にいたっては、累進課税が適用されることにより、高所得者はかなりの額の税金を納めています。
プロスポーツ選手たちが、海外のクラブやチームに移籍する理由の一つは、日本の異常に高い所得税のためとも言えますね。
1億円程稼ぐと、約4000万円は税金で徴収されることになるので、少しでも税率が低い国で稼いだ方が得といえます。
プロスポーツ選手以外でも、いわゆる高所得者と呼ばれる人々は、現在、続々と海外に拠点を移し始めています。
特に、個人事業主など自身でビジネスを行う人にとって、日本で大金持ちになることは、もはや現実的な選択肢ではなくなってきており、所得税がゼロの国やほとんどかからない国へ移住するケースが増えています。
日本の税制度の厳しさに気づいている人は続々と行動を開始している様です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
日本の税金の歴史を見てみると、明治時代までは米を中心とした納税方式であり、やがてそれが限界を迎えて、現代のような「現金」による納税に変化してきたことが分かります。
税金の種類も時代を追うごとに増えていき、1989年には消費税が導入されるまでに至りました。
税金は私たち国民が納めた「血税」と呼べるものです。
どのようにその血税が使われているのか、私たち国民がチェックしていかねばなりません。高所得者の中には、日本に見切りをつけて海外へ拠点を移す人も増えてきています。
日本は今後、真面目に企業で働く人程、税金を多く支払う国になってしまうかもしれませんね。
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